コメント
No title
坂崎氏がこいつを弾いてる動画、私も見ました。
骨太で、ゴリゴリ感満点のサスティーンの短いサウンドが非常に魅力的で
これで「honey dont」弾きたいなと思ってしまいました(笑)
骨太で、ゴリゴリ感満点のサスティーンの短いサウンドが非常に魅力的で
これで「honey dont」弾きたいなと思ってしまいました(笑)
No title
ごらんになりましたか?!
そうかのCHARさんとの対談です。
確かにHONEY DON'T合いそうですね。
たまたまあの動画を見て、全く忘れていた当時使ったギターを思い出したのです。
もしやこれでは無かったかと・・・・?
新しいことは直ぐに忘れてしまうのに、昔の事はいつまでも覚えているようです(o^o^o)
そうかのCHARさんとの対談です。
確かにHONEY DON'T合いそうですね。
たまたまあの動画を見て、全く忘れていた当時使ったギターを思い出したのです。
もしやこれでは無かったかと・・・・?
新しいことは直ぐに忘れてしまうのに、昔の事はいつまでも覚えているようです(o^o^o)
No title
大変に懐かしく拝見させていただきました。
Splendorは日立航空機(戦時中は飛行機を作っていました)に勤めていた父が
戦後、GHQに戦犯指定(兵器開発者は企業に所属出来ない)をされて仕方なく独立・創業した
小さな精密機器会社で旧同僚の会社(日立楽器製造)から依頼されて製作した
何とも不細工なギターピックアップを搭載したエレキギターです。
合理的に雑音をカットできるからと安価な鉄板プレートを重ねたバータイプにしたため、
当時のエレキギターとしては、かなり異質な印象でした。
アメリカ製のポールピース型ピックアップに憧れていた中学生の私には何とも受け入れ難く、
父にセンスがないと文句を言ったほろ苦い記憶があります。
しかし、随分と後になってからバータイプはトーンバランスを最適化できる構造だと知ったり、
プラスチックのカバーの穴の開け方に磁界調整の秘密があることが分かったりと
他界した父の電気技術者としての「凄腕ぶり」に驚かされました。
Splendorは安価で音が良いという評判からアメリカでかなり売れたらしく、
日立楽器製造は欧州の楽器メーカーにもピッアップの単体輸出もしていたようです。
どうか父の仕事のカタチでもあるSplendorを末永くご愛用いただければ幸いです。
Splendorは日立航空機(戦時中は飛行機を作っていました)に勤めていた父が
戦後、GHQに戦犯指定(兵器開発者は企業に所属出来ない)をされて仕方なく独立・創業した
小さな精密機器会社で旧同僚の会社(日立楽器製造)から依頼されて製作した
何とも不細工なギターピックアップを搭載したエレキギターです。
合理的に雑音をカットできるからと安価な鉄板プレートを重ねたバータイプにしたため、
当時のエレキギターとしては、かなり異質な印象でした。
アメリカ製のポールピース型ピックアップに憧れていた中学生の私には何とも受け入れ難く、
父にセンスがないと文句を言ったほろ苦い記憶があります。
しかし、随分と後になってからバータイプはトーンバランスを最適化できる構造だと知ったり、
プラスチックのカバーの穴の開け方に磁界調整の秘密があることが分かったりと
他界した父の電気技術者としての「凄腕ぶり」に驚かされました。
Splendorは安価で音が良いという評判からアメリカでかなり売れたらしく、
日立楽器製造は欧州の楽器メーカーにもピッアップの単体輸出もしていたようです。
どうか父の仕事のカタチでもあるSplendorを末永くご愛用いただければ幸いです。
Re: No title
コメントありがとうございます。
なるほどそのような逸話があり、またそれを作られた方の息子さんにご覧頂くとは感激です!!
まずおことわりしないといけないのは、当時友人から借りただけで現在所有しているわけでは無いです。
自分は1959生まれの現在58歳。
中学の頃BEATLESに憧れ初めてバンドらしきものを組みました。
しかし自分の所有はガットギター。
友人は兄がいたためGrecoのエレキを持っていました。
そこにまるでひょうたんから駒の如く現れたのが須原くんが持っていたこのSplendorだったのです。
快く貸してくれるという言葉にもうそれは嬉しくて嬉しくていまだにあのギターを覚えていました。
Fenderのmustangも似てはいますが当時そんな高価なもの
万が一須原君が持っていたら恐ろしくて借ることが出来なかったでしょう。
TOMSONなら絶対覚えてるはず。
そんなとき偶然見た動画で「これだ!!」
と思い出しブログに書きました。
もしかすると父上にとっては不本意な仕事依頼だったのかもしれません。
けどその中にも技術者としての意地とプライドを埋め込まれたのでしょうね。
私の父も昨年他界しました。
その父が弾けもしないのに購入。
押し入れに放り込んであったギターから自身生涯の趣味となる音楽が始まりました(2016/9/21ブログ参照)。
その音楽を通じて見知らぬ方からもこのようにコメント頂ける事を改めて嬉しく思います。
ありがとうございました。
なるほどそのような逸話があり、またそれを作られた方の息子さんにご覧頂くとは感激です!!
まずおことわりしないといけないのは、当時友人から借りただけで現在所有しているわけでは無いです。
自分は1959生まれの現在58歳。
中学の頃BEATLESに憧れ初めてバンドらしきものを組みました。
しかし自分の所有はガットギター。
友人は兄がいたためGrecoのエレキを持っていました。
そこにまるでひょうたんから駒の如く現れたのが須原くんが持っていたこのSplendorだったのです。
快く貸してくれるという言葉にもうそれは嬉しくて嬉しくていまだにあのギターを覚えていました。
Fenderのmustangも似てはいますが当時そんな高価なもの
万が一須原君が持っていたら恐ろしくて借ることが出来なかったでしょう。
TOMSONなら絶対覚えてるはず。
そんなとき偶然見た動画で「これだ!!」
と思い出しブログに書きました。
もしかすると父上にとっては不本意な仕事依頼だったのかもしれません。
けどその中にも技術者としての意地とプライドを埋め込まれたのでしょうね。
私の父も昨年他界しました。
その父が弾けもしないのに購入。
押し入れに放り込んであったギターから自身生涯の趣味となる音楽が始まりました(2016/9/21ブログ参照)。
その音楽を通じて見知らぬ方からもこのようにコメント頂ける事を改めて嬉しく思います。
ありがとうございました。
No title
私の気ままなコメントにお返事をいただき、まことに感謝です。
Splendorはお持ちではなかったんですね。
嬉しさのあまりに早とちりをしてしまい、失礼をいたしました。
しかしYoutubeで坂崎幸之助さんが演奏されている動画を発見してから
この掲示板にたどりつけたという奇跡を今も嬉しく思っています。
私は1950年生まれの後期高齢者ですが、中学〜大学と続けてビートルズの
コピーバンドをやっていました。
残念ながら所有していたのはSplendorではなく、父の知人が創業していた
Teiscoという会社で売られていた焦げ茶色のセミアコでした。。
パートがジョージだったため、グレッチに似ていて安価なものを選んでいた
という次第です。
豆知識
バータイプのSplendorピックアップは、重ねた鉄板の中に微妙に磁化させた
板を入れて材木の質による鳴りの調整を磁界力で調整していたそうです。
これは米国のように最適な木材(大きさと質)が安定的に手に入らない日本での
特殊な工夫なのだと思いますが、同じように最適な木材が国内に少なかった
イタリアでもこのピックアップをEkoが輸入していたようです。
きっと鉄板の組合わせで音を調整できるというのがこのピックアップの最大の
強みだったのだと思います。
※2016.09のブログも楽しく拝見させていただきました。
今後も末永くA DAY IN THE LIFEお続けいただければ幸いです。
Splendorはお持ちではなかったんですね。
嬉しさのあまりに早とちりをしてしまい、失礼をいたしました。
しかしYoutubeで坂崎幸之助さんが演奏されている動画を発見してから
この掲示板にたどりつけたという奇跡を今も嬉しく思っています。
私は1950年生まれの後期高齢者ですが、中学〜大学と続けてビートルズの
コピーバンドをやっていました。
残念ながら所有していたのはSplendorではなく、父の知人が創業していた
Teiscoという会社で売られていた焦げ茶色のセミアコでした。。
パートがジョージだったため、グレッチに似ていて安価なものを選んでいた
という次第です。
豆知識
バータイプのSplendorピックアップは、重ねた鉄板の中に微妙に磁化させた
板を入れて材木の質による鳴りの調整を磁界力で調整していたそうです。
これは米国のように最適な木材(大きさと質)が安定的に手に入らない日本での
特殊な工夫なのだと思いますが、同じように最適な木材が国内に少なかった
イタリアでもこのピックアップをEkoが輸入していたようです。
きっと鉄板の組合わせで音を調整できるというのがこのピックアップの最大の
強みだったのだと思います。
※2016.09のブログも楽しく拝見させていただきました。
今後も末永くA DAY IN THE LIFEお続けいただければ幸いです。
Re: No title
中学の時Teiscoの小型PAを知り合いに貸してもらい、リアカーで運んだ思い出。
自分も中学から数年前までコピバンをやってましたが、最後のバンドは遠距離恋愛ならぬ遠距離メンバーのためなかなか都合もあわずまた練習に通う気力も無くなってしまい解散しました。
それで自宅6畳間スタジオにて多重録音によるひとりBEATLESをやっております。
嫁にはひきこもりと言われてます( ̄。 ̄;)
死ぬまでに全曲制覇を目標にライフワークとしてこのブログ同様続けて行きたいと思いますので末永くごひいきに(^-^)/
自分も中学から数年前までコピバンをやってましたが、最後のバンドは遠距離恋愛ならぬ遠距離メンバーのためなかなか都合もあわずまた練習に通う気力も無くなってしまい解散しました。
それで自宅6畳間スタジオにて多重録音によるひとりBEATLESをやっております。
嫁にはひきこもりと言われてます( ̄。 ̄;)
死ぬまでに全曲制覇を目標にライフワークとしてこのブログ同様続けて行きたいと思いますので末永くごひいきに(^-^)/